私が開院した理由

私は、20歳から医業の道へと進み今日では接骨院、整骨院での勤務経験を活かして国家資格を持った治療家として日々調整を通してここに必要としてくれる方と笑い、話し、より快適な日常生活を送れるかを考えながら調整させていただいております。

そもそも私が、この世界に入ったきっかけとなったのが、中学校生活の時に部活で陸上部に所属している時に捻挫をする度にお世話になっていた接骨院の先生の所になおしてもらいました。

一度は違う業界の道へと進むも接骨院でなおしてもらいお世話になった事を思い出して、先生の所で勉強させてもらうようにお願いし医業の道へと志しました。

毎日楽しく20代前半という事もあり若さゆえにお姉さま方のアイドル的な要素もあったのが会話しながらマッサージして喜ばれる。

会話する事で孫と話しているなどと言ってもらえて私も話すのが好きで楽しい日々でした。

そんな日々を過ごしながら2年後に国家資格を取りに行く為に学業にも励み、朝は8時から院で仕事をしながら昼は学校で解剖学や生理学、運動学など勉強し、夕方には戻ってから院で9時頃までと仕事と実践しながら研修時代を過ごしていました。

そして、3年後無事に国家資格も1度の試験で取得し今までお世話になった先生とのころから離れ、さらに治療家への道へと1歩1歩進みさらに向上していく為にも違う整骨院で5年ほど働きながら日々マッサージをしていました。

その中でマッサージだけではどうしようもできない人がいる現実に直面する事がありました。

「もんでもなおらないってこと」

気持ちよくはなるけど、結局繰り返しの連続や当時より元気になっているはずが元気になっているのかどうかわからなくなりました。

もちろん年とともにというのはあるのですが、今思えば年のせいだけではありません。

その中で何かもっといい技術はないのか模索している時に出会ったのが形から直す技術に出会いました。

治療家を目指したあの接骨院への道に出会ってから8年目の事でした。

私は、小学生の頃に2度も交通事故に会い首を回せば痛く、いつも証明写真を撮る時には自分はまっすぐしているつもりでも傾いていると直されるのがすごく違和感を感じていました。

生活に支障はなくても証明写真を撮る時に直すちょっとした姿勢を変えるのもしんどくて今思うと証明写真を撮るもの好きでは無かったです。

マッサージしても湿布はっても良くなる事はなくこのまま日常生活にもかかわる事ではないので一生持っていくものだと思っていました。

しかし、その時に受けた形から変える施術を受けた時に衝撃を受けました。

自分の今まであった首の違和感が取れていおり、今では首を回すことに違和感が出る事は無くなりました。

あの時の衝撃は本当に今でも忘れる事はありません。

なぜかというと首を触ら無かったからです。

自分は今まで治療家として痛い所を触ってなおすという概念を覆したからです。

この技術を習得すれば、もっと多くの方を動けるようになったり、良くすることができるのではないかと思いました。

それから2年後形をかえる技術を習得しようやく自分の目指す形ができました。

ここ大阪市北区大淀中という8月の花火大会の時にしか通ることが無かった道ですが、何かの縁がありこれからここの地域でさせてもらえることを喜び一人でも多くの方を笑顔にしたい。日々辛い毎日から解放させたい。良くしたい。

自分の身体をなんとかならないかなって想いをもった方への力になるように日々ご来院頂く方を笑顔にする。

当時からの変わらぬ想いで日々向き合って施術をしております。

長文でしたが、読んでくださりありがとうございます。